私が所属する国際化・多文化共生調査特別委員会の管外視察が1月22〜24日にかけて行われました。備忘録がわりに書き留めておきます。
◯ 石川県国際交流協会「県民の国際理解促進と外国人の日本語教育」
「ホームステイ」はご存知だと思いますが、実は石川県は昭和31年(1956年)に日本で初めてホームステイを受け入れた自治体だそうです。ホームステイ受入れボランティアに登録されている世帯は400世帯で、多くの外国人学生が石川県でホームステイを行っています。中にはその後、駐福岡米国領事館に勤務された方もいるそうで、石川県と海外の人脈を繋ぐ重要な事業になっているとの事です。
またその盛んなホームステイを背景に、石川ジャパニーズ・スタディーズ・プログラム(IJSP)という事業を昭和62年から開始、約4週間の日程で外国人を受入れ、語学や日本文化を学ぶプログラムを格安で提供しており、既に27カ国・地域から約5800人の研修生を受入れた実績があります。
委員からは「金沢出身の八田与一氏は、台湾の偉人で大変好感度が高い。石川県は台湾との国際交流に八田与一さんを上手にPRしたらどうか?」という意見交換などが行われました。
◯ 金沢市観光協会「外国人観光客受入れの取組」
私自身、みやま市観光協会の顧問を務めており、どのような取組みをされているのか大変興味津々でしたが、のっけから衝撃的でした。
金沢市の前市長が口癖のように「わしゃ観光という言葉は嫌いだ。金沢らしさを磨けば必ず人は来てくれる」といつも仰っていたそうで、市職員には「金沢は観光の為に新しいものを作るのではなく、金沢の歴史、文化、伝統を大切に磨き上げて、それを外に向けて発信すれば自ずと金沢に訪れる観光客は増える」という意識が徹底されているそうです。
観光における戦略方針は
「強みを徹底的に磨き高め、本物を売る」
格好良すぎます!
これは外様大名にも関わらず100万石を誇った加賀藩が、徳川幕府から目を付けられないよう、その経済力を学術・文化に傾注したことや、第二次世界大戦で戦禍から免れたれ美しい金沢の街並みが現存していたり、人口あたりの茶道経験者が日本一というお茶文化を持ち、その流れで日本三大菓子どころと呼ばれる食文化があったり、今でも中学3年生には能狂言を鑑賞する授業を行うなど、色々な歴史を踏まえて染み付いたDNAのようなものかも知れません。
50年来の悲願だった北陸新幹線が2015年に開通し首都圏の観光客が170万人になり新幹線開業以来70%増、またホテルの客室数も9800室から13400室と37%増しており、大きな追い風になっている事は間違いありませんが、金沢は周到に、しかしブレずに、自らの強みを徹底的に磨き上げて準備をし、それが実を結んでいるように感じました。
例えば、海外プロモーションは「金沢市の伝えたい魅力と、客のニーズが合致する重要市場」である欧米豪に注力した結果、欧米豪からの観光客が全外国人観光客に占める割合が、全国平均16.4% のところ金沢はなんと35.7%と約2倍だそうです。
特に感動したアイディアが2つ
戦火を免れた昔ながらの街並みを楽しんでいただく為に、「金沢古地図巡り」と題して、古地図を頼りに街歩きを楽しんでいただくアクティビティがありますが、この「古地図」がなんと耐水加工してある丈夫な紙を利用してありました。コストは掛かりますが、日本一雨が多い石川県、実際に手に持って少々雨が降っても地図がグチャグチャにならずに街歩きを楽しんでもらえるようにとの配慮だそうです。対象となる方々が街歩きしている光景を漠然とではなく具体的にイメージして練られた施策であることがヒシヒシと伝わってきます。
また、英会話教材で有名な「スピードラーニング」の会社とコラボして金沢観光英会話研修バージョンのスピードラーニングを制作。ボランティアガイド、タクシー会社、宿泊施設、図書館などに配布して、言葉の面で外国人受け入れ環境の向上を目指しています。教材は版元との契約でなんとコピーフリー!図書館で借りてコピーして自学が可能なんだそうです。これほど具体的で効果が期待できそうな施作なかなかお目にかかる事はありません。
さすが観光先進地域。地域の魅力は、無い物ねだりではなく、あるもの磨きを徹底する事が重要だとつくづく感じさせられました。
◯ JA志賀「農林水産物の輸出について」
石川県は北陸新幹線開通もあり金沢エリアは大変発展しておりますが、能登半島においては少子高齢化が急速に進んでその生き残りに腐心しているのが実態です。
JA志賀は能登半島の羽咋郡志賀町にあり、名産品である干し柿を「能登志賀ころ柿」として平成28年10月にGI(地理的表示保護制度)登録。海外輸出を目指し努力されています。
能登志賀ころ柿は栽培面積84ha、生産戸数139戸、年間生産量約1億円と規模的には大きく有りません。その問題点は、化粧箱16個入りで5000円から10000円と価格が高く、お歳暮需要がメインであるために、干し柿を加工する期間が集中し、労働力不足により生産拡大が困難で、収穫しても加工に到らない柿は多数廃棄される事でした。
そこで、冷蔵設備を整備し生果貯蔵をすることにより、加工期間の拡大を可能として、中国・台湾の春節需要をターゲットとして、未利用果実の活用に取り組みました。その上で、GIを取得しブランド力の向上を目指しています。
ただ、それでも生産者のメインは果樹と加工施設を持った世帯の、定年後の退職者で、若手が「ころ柿」一本で生計を建てるには到っていない模様です。今後、ころ柿を継続して生産するために、集落営農組織などの構築を検討しているとのことでした。
試食をさせて頂きましたが、干し柿の概念が変わる美味しさで、是非ともころ柿生産が継続して行われることを期待しております。
○ 富山県美術館 「県立美術館による文化交流」
報道でご存じとは思いますが、福岡県立美術館は老朽化により大濠公園に移転・建て替えが検討されています。
今回の視察では2016年に開館され、日本で一番新しい美術館である富山県立美術館を訪問し、副館長の杉野秀樹氏より「県立美術館による文化交流」についてお話しを伺いました。
美術館は展示品を見に来ることが目的とされるため、通常は来館者数(美術館自体の来場者)と観覧者数(特別展示の入場者)がほぼ同じになるのが普通だが、富山県美術館は美術展に来場して展示している美術品を鑑賞するだけで無く、様々な利用をされるような館を目指し運営されています。
「展覧会だけではなく、それ以外の楽しみにも与えたい」との想いが、入場料を取る展示スペース以外に、自由に行き来できるスペースがふんだんにあり、屋上には「オノマトペの屋上」と銘打った、グラフィックデザイナーがデザインした遊具を配置した屋上庭園があったり、県営公園内に存在する美術館として、自然に人々が芸術に触れ親しみを感じることが可能な作りで「美術館を公園の一部として子供達が遊び、知らぬ間に芸術に触れている」環境が構築されていました。
我々が訪れたときは、雲がかかり眺望を堪能できなかった立山連峰がまるで一つの展示作品として来場者に感じられるよう設計されているのも印象的でした。
15000点所有されているポスターも常設展示はできないが、タッチパネル付きのデジタルサイネージで来館者が自由に自分の見たいものを見ることが可能となる仕掛けがしてあるなど、新しい刺激を与えられる美術館でした。
新しく建て替えられる福岡県立美術館も富山県美術館に負けない、幅広く美術に触れ親しめる施設になる事を期待します。
以上、駆け足となりましたがレポートします。