荒れてない成人式

昨日はみやま市の成人式に出席してきました
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今年みやま市では452名の皆さんが成人を迎えられたそうです。
ニュースなどで吹き込まれていた「荒れる成人式」という先入観を持って少々心配しながら成人式に臨みましたが、みやま市においては全くそんな事は有りませんでした。参加者の皆さん私語や携帯いじりも殆どなく真面目に式典に参加して頂きました。他市の話を聞きましたが、大牟田市・柳川市も特段荒れるわけではないとの事。一体テレビのニュースで目にする「荒れる成人式」とはなんなんでしょう?一部の事象を過大に取りざたして大げさに報道するのは、大多数の普通の、真摯に式典に参加する若者を愚弄する事に他なりません。或いは「荒れる成人式」になるよう敢えて若者を煽っているのでしょうか?そうでなければマスコミは今の若者の平均的な姿をちゃんと伝えて欲しいと思います。

私も県議会議員として祝辞を述べさせて頂きましたが、その要旨は下記の通りです

 成人式の由来は1946年に埼玉県蕨市で行われた青年祭がルーツです。その当時は戦争直後、虚脱状態になっている若者を励まし社会に迎え入れようという趣旨で成人式が行われたそうです。
 一方敬老祭は1947年、兵庫県で行われた「としよりの日」がルーツとなっています。当時敬老祭は50才になった方を御祝いし「としよりの知恵を借りて村興しをする」のが目的だったそうです。昨年、私は多くの敬老祭に出席したけれど、殆どが70才以上が参加資格となっていて、中には75才以上という所もありました。つまり1947年当時は20才になって社会に迎え入れられて、50才になったら社会から「有り難う」と感謝されていた、約30年間が社会の中核として活躍する年代だった。現在は社会に迎え入れられるのは今日お越しの皆さんの通り20才だけれども、社会から「有り難う」と感謝される年齢は70才、地域によっては75才。つまり50年から55年を社会の中核として頑張らなくてはならないという事です。
 「ええ!!そんなに長く頑張らんといかんと?!」とうんざりする方もいらっしゃるかも知れないけど、前向きに捉えれば一度や二度の失敗は構わない、ゆっくり立ち止まって考えても構わないという事だと思います。しかし、ただ漫然としている訳にもいきません。
 そこで皆さんにお願いがあります。中国の春秋時代の言葉で「古人曰く、径寸十枚、これ国宝に非ず。一隅を照す、これ則ち国宝なり」という言葉があります。一人でこの会場の隅々まで全てを照らす必要はありません、自分の出来る範囲で会場の一角を、一隅を、しっかりと照らす、そういう人間になって頂きたい。みなさん得意なこと好きなことお持ちだと思います、自分が社会の一員としてどのような分野で社会の一隅を照らす事が出来るかじっくり考えて下さい。時間はたっぷりあります。みなさんが将来みやま市の、福岡の、日本の、一隅を照らす人になる事を心から期待して私の御祝いの言葉に代えさせていただきます。ご成人おめでとうございます。

微力ではありますが私は県議会議員の立場で、社会の一員として一隅を照らそうと努力している方々を全力で応援していきたいと思います。本当に素晴らしい成人式でした、皆さんおめでとうございます!!
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