東日本大震災における陸上自衛隊第四師団の活動

先日のブログでご報告しましたが、去る9月28日に私が所属している防衛議連にて講話会が開催されました。講師は陸上自衛隊第四師団長 陸将木野村謙一氏。演題は「東日本大震災に伴う災害派遣における第四師団の活動」。

講話は15分間の災害派遣活動の模様を移したビデオ鑑賞から始りました。約70日間の活動をBefore/Afterで表現したりして、自衛隊の皆さんの活動が如何に被災地に貢献したかひしひしと感じられるものでした。特に映像の最後、派遣活動から引上げるシーン、避難住民の見送りの姿に涙が止まりませんでした。「自衛隊の皆さんがいるだけで安心できました」という横断幕を掲げ、笑顔で手を振る被災者。救助活動、遺体捜索、瓦礫除去だけでなく炊き出し、医療、慰問演奏などまで幅広くまさに粉骨砕身努力してきた自衛隊の皆さんに対する厚い信頼を感じる映像でした。
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その後、木野村師団長から講話がありましたが、印象的な部分をご紹介します:

  • 地震当日の正式な出動命令は22:45だったが、14時の段階で出動を予想し準備を整えていた。
  • 九州北部は地政学的に自衛隊オペレーションの要であり、7000人いる師団ではあるが、全員を派遣するわけにはいかなかった。最大で4000名程度の派遣
  • 救助出来たのは1名、遺体捜索は521体の発見。これは震災後2日以上経って現地に入ったため。初動という意味では地方駐屯地の重要性が改めて認識された。
  • 震災復興においては首長のリーダシップと市民の意識が問題。常日頃からの首長と市民の距離が大切。
  • 自助・共助の気持ちを失わないよう、何でもかんでも自衛隊がやらない。そうしないと自衛隊依存に陥って、本当の復興から遠のいてしまう。
  • 自衛隊員は被災地の悲惨な状況に過剰適応してしまい、ハイな状態になり頑張りすぎてしまう傾向有り。無理にでも休ませるよう努力した。
  • マスコミのスタンスはこれまでの自衛隊活動ではあり得なかった程概ね好意的。ただ相変わらず伝聞情報でいい加減な事を書くマスコミもいた。その場合、傷つくのは自衛隊では無く、共に行動しているボランティアだったり市職員だったりする。

また最後に今回の活動を通じて、今後の災害対応のための提言も頂きました:

  • 防災と防衛は似て非なる物。国の防衛においては彼我の心理的要素が抑止力となるが、防災に情けは通用しない。
  • 駐屯地の存在意義の再認識。過去駐屯地を集約せよという議論もあったが、今回の震災で、初期行動が救助出来る人数に大きく影響する事が痛感された。遠方から被災地に乗り込んでも時間的に助けられる人は少ない。
  • ワーストケースシナリオに基づく防災計画が必要。発生予測が高い災害に対して準備することは大事だが、それだけでは不足している。①蓋然性の高いもの(台風・地震など) ②蓋然性は低いが被害が大きいもの(原発) ③複合事態となるもの(気仙沼では津波で油タンクが破損。燃料が街中に広がり大火災を引き起こした)のように優先順位をつけてあらゆる事態に対処できるよう立案すべき。
  • 平素からの行政・指定公共機関などと自衛隊の連携が大切。自衛隊運用を熟知した人間の行政機関への登用が有効では。村井宮城県知事は自衛隊出身で、今回の震災に於いて宮城県が一番自衛隊との連携はスムースではなかっただろうか?(ちなみに福岡県には自衛隊OBの受け入れは無い)
  • イベント的訓練から「みちのくアラート2008」のような実践的訓練への深化。

私の備忘録みたいになってしまいましたが本当に素晴らしい講演でした。ご興味の有る方はお問い合わせくださればもうちょっと詳しくご説明します。とにかく自衛官の皆さんの士気の高さがひしひしと伝わってくる講話でした。本当に有り難うございました。